小学生の頃

小学1年生

1973年、兄は9歳、妹は7歳になりました。わたしの小学校の入学式の日の写真だと思います。兄は少し恰好をつけてポーズをとっていますね。私の方が背が高いのですが、斜面で撮っているので同じくらいの背丈に見えます。兄もわたしも運動がとても苦手でした。交互に風邪を引いて、ふたりともよく熱を出していたそうです。兄もわたしも身体の弱い子どもでした。


わたしが守る

1973年2月、兄は8歳、妹は6歳。小学校1年生の節分の時期だったと思います。

兄が通う学校の図画工作の発表会に行った時の写真です。

 

わたしと兄はいつも一緒にいて、写真のように手を繋いでいました。

兄が通う特別支援学校に行くと、わたしはいつも笑顔になっていました。

 

わたしが通っていた小学校では、わたしは殆ど口を利かず無表情化、悲しそうな顔をして担任の先生の洋服を掴んで話さなかったくらい気弱な子どもでした。

 


小学2年生

兄が通う特別支援学校で撮影した写真です。

幼い頃、足に補助具をつけていた兄はバランスが取れて歩けるようになってきました。わたしはクラスでメガネをかけていると馬鹿にされました。当時はメガネをかけている子どもは少なかったので珍しかったのでしょう。小2といえば、相手の「違い」に気づき、それを指摘し始める時期なので、いじめたり、からかったりする子どもが出てきました。

当時、わたしは学校が終わるとすぐに兄を迎えにバス停まで走っていきました。バスを降りてしばらくすると、近所の子供たちが「バーカ、バーカ」とわたし達をからかいました。母にいじめられていることを知られるのがとても恥ずかしかったので、団地のごみ置き場にある水道で泣いた顔を洗い「絶対にこのことはママに言っちゃだめだよ。泣いちゃだめだよ」と兄に言い聞かせて笑顔で帰宅したことを覚えています。障害のある兄のことをバカにしていることが母に知られると、自分が兄を守れないと思われてしまう、自分もからかわれる対象になってしまっているのかもしれない、と思うと、親には何も言えませんでした。


小学3年生

1975年、兄は11歳、妹は9歳。夏休みに鴨川シーワールドに行きました。毎年遊びに行っていたので、兄はいまでも鴨川シ―ワールドが大好きです。

この頃、小学校のクラス会で劇を演じるため、持ち回りでグループの子供の家にお邪魔して劇の練習したことがありました。母とわたしは兄に絶対に部屋に入ってはいけません、と念を押していたのですが、兄は、いつもの通りに「アー、ウー」とうなりながら、劇の練習をしている部屋に入ってきてしまいました。

その時の同級生の困ったような表情は今でも覚えています。翌日学校に行くと、クラスの雰囲気が変わっていて、話しかけても冷たい態度がかえってくるようになりました。


小学4年生

1976年、兄は12歳、妹は10歳。この頃は一人で部屋に閉じこもることが多く、両親と兄が同じ部屋でテレビの番組を見ていても、わたしは別の部屋で同じお笑い番組を見てひとりで笑っていました。勝手に部屋にとじこもったのに、わたしだけ疎外されているような気持ちになっていました。母はこの時「思春期だからきっと一人になりたいのだろう」と思って声をかけなかったそうです。

クラスの女子全員に無視されたのもこの頃です。当時、わたしは大人びていて、生意気だったので、ある同級生を怒らせて、結果的にクラスの女子全員から無視されてしまいました。きっと障害者の妹だからいじめられているんだと思い込んでいましたが、自己主張したくてたまらない時期だったのかもしれません。このことをきっかけに、兄との距離も少しずつ離れていきました。写真では、手はまだ兄のほうに伸ばしているけれど、気持ちは外に向き始めました。


小学5年生

1977年、兄は13歳、妹は11歳。小学校5年生の頃のわたしはすっかり笑わなくなっています。兄と一緒に写真を撮ることを拒み始めました。

あんなに活発だったのに、友達も少なくなり、毎日何かから逃げ出したい気持ちでいっぱいで、内にこもる性格に変わっていきました。

母は兄だけを愛していて、私は誰からも愛されていない、と感じていました。

それは、クラスで疎外感を持ったことがきっかけだったのかもしれません。

バス停に兄をお迎えに行くことも拒み、学校から帰るとすぐに自転車で近所の土手まで走りました。「この川を越えたら世界が変わるのかな」と思いながらペダルを踏むのですが、どうしても勇気が出なくてその土手を超えられず家に帰るという毎日でした。