幼児期


兄が赤ちゃんの頃

1964年 春、兄は大阪で生まれました。

当時の産科医は「息子さんはダウン症なのでおそらく一年持たないだろう」と父に告げたそうです。父は母に「生まれた子はダウン症で一年持たないかもしれない」と伝えたそうです。ダウン症のことを知らなかった母は、父に「治るお薬をもらってきて」と何度も懇願したそうです。

 この頃はダウン症の赤ちゃんを育てるための参考になるような育児書は少なく、子育ての相談をできる人は周りに誰もいなかったそうです。



母の回想録

息子にミルクを数 ミリ㍑飲ませるのに1時間以上かかり、そっと寝かせるとすべて吐き出してしまうので、また1時間かけてミルクを飲ませるという繰り返しで、腕がしびれて痛くなり、泣きながら息子にミルクを 飲ませました。息子はうつろな目で天井を見ていたり・・・呼びかけに反応したり、しなかったり・・・どうしたらいいのかわからなくて毎日悩んでいました。ある日、初めて息子が笑った時 には、わたしは大泣きしてしまいました。それからは毎日屈託のない笑顔を見せてくれるようになりました。諦めないで良かったと思いました。


わたしが産まれる前(兄が1歳半)

1965年、わたしが産まれる前に撮影した家族写真です。この写真は、兄が1歳くらいの頃でしょうか。ようやく首が座った頃で、まだ後ろで支えてもらわないと座っていることができなかったそうです。母のお腹の中にわたしがいます。

兄は頭が重くて身体が不安定だったそうです。全身の筋肉が柔らかくて足首が細く、身体が小さかったので、バランスが取れず、なかなか歩けませんでした。無表情で泣くので他の赤ちゃんと明らかに違う・・と思っていたそうです。


僕のいもうと

1966年春、わたしは生まれました。この頃は、わたしが泣くと兄も連鎖反応で一緒に泣いていたそうです。

母はもう一人子どもを産むことを物凄く迷っていました。

次に生まれてくる子どもにも障害があったらどうしよう・・・

散々悩んだ末に、どうしても障害の無い健常児を夫に抱かせたい、そう思ってわたしを産んだのだそうです。

息子の成長がとてもゆっくりだったので、わたしはあっという間に大きくなったという印象があり、その成長の速さに驚いたそうです。この頃は毎日が面白かったそうです。

兄は、あぁ、うぅと声を出すようになりました。


兄らしく、妹らしく

1966 年冬、わたしはまだ一歳になっていない頃だと思います。兄はもうすぐ2歳ですが身体が小さいので同じ背格好ですね。この頃のわたしはまだ赤ちゃんなので、兄に髪の毛を引っ張られたり、 キスされたりしている写真がたくさん残っています。兄にとって妹の存在は、とても良い刺激になったようです。



母は私を片腕に抱き、兄をバギーに乗せて商店街に買い物に行っていたそうです。

昭和40年代の頃の写真です。

 

ダウン症の子供を授かると、「話せない」「表情が少ない」「首が座らない」と、できないことばかりが目立ってしまいます。兄も心臓弁膜症を合併していたので、心臓に負担をかけるような運動はしないようにと医者に言われ、体重の増加にも気を使っていたそうです。

 

 母はこの頃、「ミルクをたくさん飲んで、表情が豊かで、毎日大きくなっていくあなたを見て、お母さんたちは勇気づけられたの。お兄ちゃんも少しずつ声を出すようになったり、ふたりで何を話しているのかわからないけど、納得している様子だったり、何かを確かめあったりしていたわ。楽しくて、毎日があっという間に過ぎていったわ」と振り返っていました。


兄3歳、妹1歳 

1967 年、兄が3歳、わたしが1歳のお誕生日の写真です。この写真の直後に、わたしが蝋燭の炎を手で掴もうとして大騒ぎになったそうです。兄が舌を出しているのは、ダ ウン症の特性で、口の大きさに比べて舌が厚くて長いので口の中に収まらないので、自然に舌が外に出てしまうのです。兄は幼い頃はよく、このように舌を出していました。


よく見ると、妹の私の方が一年で兄を追い越し始めていることがわかります。私は大好きなお菓子(マンナ)を片手で握っているので、握るという動作ができるようになっていて、一人で食べられるようになっています。支え無しで一人で座ることもできています。しかし、兄は抱っこされたり、背中を支えられるか、机にもたれかかっていないと座っていられませんでした。まだ頭が大きいので身体とのバランスが取れていません。私の髪の毛を見ていますね。天然パーマなのでモシャモシャしているので、いつも気になって触っていたそうです。わたしと会話をしたがり始めた兄は、積極的に声を出して、アー、オー、オウオウ、ウガウガと妹のわたしに話しかけていたそうです。ふたりにしか通じない言葉で会話をしていたようですね。ダウン症の赤ちゃんは、好奇心旺盛で明るくてユーモアに溢れているといわれています。兄と私はいつも楽しく笑って過ごしていたそうです。


いつも一緒

1968年、兄は4歳、妹は2歳です。妹の方が兄よりも、ちょっとお姉さんっぽくなってきています。兄は鼻に手を当てたり、やんちゃになってきました。妹のわたしはスタスタと歩き始めていますが、兄はまだ乳母車に乗っています。わたしは、兄を弟のように扱っているように見えますね。仲がよくて、いつも手を繋いでいました。兄はまだ「アー、アー、ウー」と唸るだけでしたが、わたしには兄が何を話しているのか、どうして欲しいのか、すべて分かっていると思っていました。両親にわたしが兄の言葉を通訳をして兄の要望を教えてあげていました。


背丈が同じくらいになりました

1969 年、もうすぐ兄は5歳に、妹のわたしは3歳になる数か月前の写真だと思います。兄はまだ伝い歩きの状態ですが、わたしはもうしっかり立っています。

兄が押しているのは、通称「カタカタ」と呼んでいた遊び 道具で、前に重心をかけて押すと二頭の馬の首が前後に揺れてカタカタと音を出します。ふたりともお気に入りだったので、順番に使っていたそうです。2歳も年が離れているのですが、まるで双子のようです。

兄はようやく物を握る動作ができるようになっています。妹が先に歩き出すので、それを追いかけたい兄は足を動かして、筋力が少しずつつき始めたそうです。


先を歩く妹

兄はまだ母に手を引いてもらっています。わたしは兄の手を取って歩いていますね。兄の足元はまだ不安定で、両足をこの様に広げてその場に立つだけで精一杯です。股関節が柔らかすぎるからでしょうか、足を前に出しづらそうにしていました。

母の手をぎゅっと力強く握ってバランスを取ろうとしているのが分かります。一方、父が撮影するカメラのファインダ―に興味津々のわたしは、この後、父のほうに駆け寄っていったそうです。

 


お兄ちゃんはいつもお母さんと一緒

1969年、初めて上野動物園に行った時の写真だと思います。兄は5歳、わたしは3歳になって、一人でど んどん歩き始めています。後ろに写っている母が見守っています。こういった写真はとても多くて、父が私を主役にした写真をたくさん撮っていてくれていたことに気が付きました。ふたりが木馬に乗る姿を見比べてみてください。真ん中に立っているのが母です。兄のほうばかりかわいがっていたと思っていましたが、こんな写真をみると、わたしのことも気にかけてくれていたことがわかります。わたしは両足をまっすぐ下に伸ばして姿勢も立っていてバランスが取れていますが、兄は両足を前に出しています。脚が短いのでバランスが取りづらそうですね。全体的に身体がまだ安定しないので姿勢が前かがみになっています。