小学生の頃

小学1年生

1972年、兄は8歳、妹は6歳です。小学校の入学式が終わった直後の写真だと思います。兄は少し恰好をつけていますね。私の方が背が高いのですが、斜面で撮っているので同じくらいの背丈に見えます。兄もわたしも運動が苦手でした。交互に風邪を引いて二人とも虚弱体質でした。兄が風邪を引くと母がご飯を作らなかったことがあります。兄の身になれば食べられないでしょうと言われましたが、わたしはお腹がすいていました。

わたしが守る

1973年、兄は9歳、妹は7歳。少し大人っぽく映っていますが、まだ小学校2年の節分の時期だったと思います。兄が通う学校で図画工作の発表会があって、そこに行った時の写真です。わたしと兄はいつも一緒にいました。写真のように常に手を繋いでいました。兄の担任の先生化、お友達がみえたのでしょうか?兄が大きく手をふっています。私は視力がとても弱くてよっぽど近くによらないと殆ど顔を認識することができませんでした。このころに赤い眼鏡を買ってもらって、授業のときだけ眼鏡をかけるようにし始めました。

小学2年生

1974年、兄は10歳、妹は8歳。兄が通う養護学校で撮影した写真です。幼い頃、足に補助具をつけていた兄はバランスが取れて歩けるようになってきました。わたしはクラスでメガネをかけていると馬鹿にされました。当時はメガネをかけている子どもは少なかったので珍しかったのでしょう。小2といえば、相手の「違い」に気づき、それを指摘し始める時期です。学校が終わるとすぐに、養護学校から帰る兄を迎えにバス停まで走っていきました。バスを降りてしばらくすると、近所の子供たちが「バーカ、バーカ」とわたし達をからかいます。母にはいじめられていることを知られるのがとても恥ずかしかったので、団地のごみ置き場にある水道で顔を洗い、「絶対にママに言っちゃだめだよ。泣いちゃだめだよ」と兄に言い聞かせて笑顔で帰宅したことを覚えています。きっとメガネのせいで私がいじめられているんだと思っていました。徐々に障害のある兄のことをバカにしていることに気が付き始め、自分が兄を守れないせいでいじめられていると思い、親にそれを知られるのはとっても恥ずかしいことだと思って、余計に親には何も言えなくなりました。

小学3年生

1975年、兄は11歳、妹は9歳。写真は毎年家族で行っていた鴨川シーワールド。兄はいまでもここが大好きです。小学校のクラス会で劇を演じるため、持ち回りでグループの子供の家に行って練習したことがありました。母とわたしは兄に絶対に部屋に入ってはいけません、と念を押していたのですが、それまで自宅でお友達と一緒に遊んでいた兄は、いつもの通りに「アー、ウー」と唸りながら、練習をしている部屋に入ってきました。その時の同級生の目線や驚いた顔は今でも覚えています。翌日学校に行くと、クラスの雰囲気が変わっていて、話しかけても冷たい態度がかえってくるようになりました。わたしと兄は何かが違う、と思い始めました。

小学4年生

1976年、兄は12歳、妹は10歳。わたしがクラスの女の子全員に無視された時期です。無関心が一番つらいということを、子供たちは既に知っているのかもしれません。思い起こすと、私は大人びていて、生意気でクラスの人気者に立てついたことがきっかけで、その子の呼びかけで無視されました。負けん気が強くて頑固だったんですべ。障がい者の妹だからいじめられるのかもしれないと思い込んでいましたが、自己主張したくてたまらない時期だったのかもしれません。このことをきっかけに、兄との距離も少しずつ離れていきました。写真は、毎年千葉の海水浴場に家族で出かけていた時のスナップです。手はまだ兄のほうに伸ばしているけれど、気持ちは外に向き始めました。

小学5年生

1977年、兄は13歳、妹は11歳。小学校5年生の頃のわたしはすっかり笑わなくなっています。兄と一緒に写真を撮ることを拒み始めました。あんなに活発だったのに、友達も少なくなり、毎日逃げ出したい気持ちでいっぱいで、内にこもる性格に変わっていきました。母は兄だけを愛していて、私は誰からも愛されていない、そう考え始めていました。

もうバス停に兄をお迎えに行かなくなりました。学校から帰るとすぐに自転車で土手まで走って、「この川を越えたら世界が変わるのかな」って思いながら、勇気が出なくてその土手を超えられなくて家に戻ってくるという毎日でした。